「身だしなみに気をつけましょう」

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「身だしなみに気をつけましょう」という言葉は、成長過程でのいろいろな場所で囁かれたりはきはきと言われたりしてきた。身だしなみ、身だしなみかあ……。髪をとかす、とか、服のしわを気にする、とか、爪を切る、とか、そういう……そういうやつですよね……。

 はじめに申告してしまうと、私は身だしなみを整えるという行為がものすごく苦手だ。嫌いなのではない。ただひたすらに関心が薄い。身だしなみが大事なのはわかる。私だって整えるもんなら整いたいと思っている。けれど同じくらい、「どうでもよくない?」とも思っているのである。別に私の後頭部で元気な髪の毛が一房あってもよくない……?? あ、田淵さん寝癖ついてる、と思われることは必至だが、なんと私の目には寝癖は映らないのだ!! つまり私が寝癖のことを忘れてしまえば解決である。

 ということをわりと本気で思っているのだけど、しかしどう足搔いたところで見た目の印象というのはすさまじいもので、ヨレヨレのスーツを着ているひととパリッと糊のきいたスーツを着ているひとが並んでいたら、それは後者の方が仕事できそうだな、と思ってしまうのは、おそらく大多数の意見だろう。実際は関係ないのだとわかってはいても。寝癖を直さないことが、服のしわを気にしないことが、そのひとの評価に直結するのだ。「ズボラ」とかね。ううん、当たっているな……。

 そう考えると、「身だしなみに気をつけましょう」というのは、相手に自分を「ちゃんとした」ふうに見せたいという計略、もしくは願いなのかもしれない。これもしかして常識ですか? 考えていたら身だしなみが何なのか混乱してきたので検索してみたら、どうやら『身だしなみ三原則』というのがあるらしい。そんなの10年前はなかったぞ。曰く、『清潔感』『機能性』『品位』。……『品位』!? どうしよう、身だしなみのハードルが上がってきてしまった。とりあえず無視します。

 しかしそういった「整える」のジャンルとは一線を画したところにある身だしなみがありますね。そう、化粧。就活の際に化粧がスタートラインの必須規定だと聞いたときの私の戸惑い、顔面で選ばれるの!? という疑問……。今「化粧は身だしなみ」と言われたら「何言ってんだこのひと……」と引き気味に戸惑ってみせる準備は万端だけれども、実際「化粧は女性の最低限の身だしなみ」だというジョーシキは依然として根強い、と思う。化粧は身だしなみに含まれますか? いいえ、ノーカンですよ(力強く)。とすっかりわかっているはずなのに、「メイクをしない」ことがイレギュラーになってしまうことへの「理解」の強固さはなかなかにすごい。顔面に何も塗らずに外に出るって心許ないよね!! いやあ、意味がわからない。こんなに謎なのに「わかる」ことの気味悪さ。

 田淵は化粧が苦手で仕方ないんだろう、という流れになりそうなところだけれど、ところがどっこい微妙なところだ。ファンデーションは面倒くさい、マスカラとビューラーは重苦しい、口紅は憧れるけど忘れちゃう、チーク? コンシーラー? うーん……。しかしどうしてかアイシャドウは大好き。使いこなせないのでたくさんの種類は持っていないけど、カラーパレットを見るとウキウキするし、ラメやグリッターのキラキラを通り越してギラギラした光を見ると、祭りだ!! というテンションになる。もちろんファンデーションで肌がきれいになるのを見るとすごく感動するんだけど、続かないんだよなあ。たぶん色がついていてわかりやすく「化粧しました!」という実感があるやつが楽しいんだろう。

 だから私の化粧はいつも3分程度で完了してしまう。朝は便利だ。旅行のときなど同室者の身支度を待つのはいつものこと。でも私は相手の化粧の丁寧さに何も言わないし、相手も私の化粧の簡素さに何も言わない。20分の時間差で「お、そのラメかわいいね」「リップつやつやじゃん、最高」と言い合う。鏡の前で化粧や髪の乱れに目を配りケアする知人を置いて先に外で待っていても、お互いに何も言わない。

 大変運のいいことに、私は今までそういうひとばかりと会ってきた。誰かのためにする「身だしなみ」も「化粧」も、ときにコミュニケーションであり大切なものだと思う。だからこそ、それらを「お気持ち」の枠に留めておいてほしい。マナーとしてマニュアルや生徒手帳に載せた瞬間に、それらはただの制服に成り代わってしまう気がする。これ、私が身だしなみや化粧が不得手なことの言い訳だろうか。あんまり自信はない。でも身だしなみや化粧が純粋に「お気持ち」である世界、悪くないと思うけどな。ものすごく面倒くさくて、らくちんなんじゃないだろうか。

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