ことはじめ

a white building with a blue door and window

「いちばんはじめ」というタイミング、に対して、なんだかやたらと斜に構えたり、身構えたりしてしまう。代表的なのが元日だ。一年の一番初め、まっさらなこれからの一年。ひとびとはお参りに行って願い事をしたり、「今年もよろしく」の挨拶を深々としたり、今年一年の目標を立てたりする。

 いやでもさ、さあ新年ですよ、といったところで今日は昨日と地続きなわけだし、いきなりひょいといつものように日をまたいだくらいでキラキラした自分にうまれ変わるわけでもなし。そもそも人間が決めた一月一日がどれほど特別なんだろうか。自分の部屋は昨日と同じように床にものが積み上げてあるんだぞ。むしろ、一日一日が途切れなく続いていることを意識し続けるためには、元日に特別なことなぞしない方がいいのではないか。過去を過去の箱に入れ切り離すことこそ避けるべきだ! などとそれらしい理屈を後ろをチラチラ振り返りつつ並べては、ここ数年は元日に一歩も外に出ていない。一年の切り替わりにどれほどの意味が、という考えは変わってはいないけれど、それでも新年が始まる一日目に、昨日と変わらない自分を発見するとちょっとへこむのも事実だ。

 ということで、この形で言葉を発信する「いちばんはじめ」のこの投稿にも変な気負いと反発があるというのが正直なところ。何か特別な、素敵な、ビシッと決まる、そういうものをいちばんはじめに……という理想はあるものの、そういう気負いを鼻で笑う自分もいる。三人目の自分が「そんなこと言ってたらあなたは永遠に何もできないよ」と斜め後ろから呆れ声をかけてきて、それに我ながら深く納得してもいる。

 だから最初に書くのは、できるだけなんでもないことにしたいな、と考えていた。特別な、素敵な、ビシッと決まるような内容の文章がこれから現れるのかは知らない。乞うご期待である。

 さて、では何についてか。あんこです。「餡子」。和菓子の餡子です。

 ところがどっこい、私は別に餡子が好きなわけではない。嫌いでもない。どちらかと言えば好きだけど、どれを食べても「餡子だなあ」という感想しか出てこない。甘いなあ。甘さ控えめだなあ。粒だな、漉しだな、それくらいである。それ以上わかる? わからなくない?? でもわかる方はいるわけですよ、世界には!! すごい!! めちゃくちゃ憧れる!!! そう、ここです。私にはわからない違いが、餡子の専門家、ないしは餡子の愛好家にはわかるわけです。はあ、すごい。「この小豆に合わせてこの砂糖をつかっているんだろうなあ!」とか「この店の餡子は煮方が素晴らしいなあ!」とか、読み取れるんだ……ものすごく憧れてしまう。

 そういうスペシャリストというか、こだわりのある人というか、に対する憧れは、餡子に限ったことでは勿論ない。例に出しておいて。ないんだけど、私は食べることがとても好きで甘いものもとても好きなのに、和菓子に対するセンサーがものすごく大味だ、というところに、謎の悔しさを抱いているのだった。だからこの憧れについて思うと、すぐに「餡子!」となってしまう。洋菓子ばかり食べていたせいかなあ、と思うけれど、本当に悔しい。

 大人になって、へえ、和菓子もおいしいね、と素直に言えるようになって、それでも「どら焼きの皮の違い」とか「まんじゅうの皮と餡の配分」とか、全然わからない。床を拳でたたくほどに口惜しい。もっと称賛したい。こだわりを持ちたい。

 同時に、ひとによっては「同じ」で括ることのできてしまうものたちの違いを理解することは、一からげにされたものたちを救い上げ、個として接する素晴らしいコミュニケーションだと思う。それぞれの「良し悪し」とはまた別に、それぞれに対する個人的な愛着や好ましさを持つことができるのだろう。とても豊かな光景だと思う。私も餡子の違いがわかるようになりたい。

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